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太平洋戦争後、仙台にもGHQが進駐した。その際、大量に牛肉を消費する駐留米軍が残したタンとテールを有効に活用するために、1948年(昭和23年)、仙台の焼き鳥店「太助」初代店主・佐野啓四郎が、牛タン焼きの専門店を開業したことが 「仙台牛タン」 の始まりである。佐野はタンシチューから着想して、タンを薄い切り身にして塩焼きするという調理法を考案した(米軍の残り物説について仙台牛たん振興会は全面否定しているが、佐野はむしろ公式見解として認めており、自信のある元祖とイメージダウンを嫌う新規参入業者との間で見解の相違が生じている)[要出典]。
佐野の牛タン焼きの発明から長らくは、それほど牛タン料理は市民に人気があるわけではなかった。もともとが外食から生まれた料理であり、家庭で食べられることは殆どない。むしろ珍味の扱いで、一部の愛好者や酔客が「締め」に食べる程度だった。やがて高度経済成長期になって、他都市から仙台への転勤族や単身赴任者(仙チョン族)が増えると、昼食時や夜の街で仙台牛タン焼きの味を知り、仙台赴任からとりわけ東京に戻ったサラリーマンの間で仙台牛タン焼きは評判になった。また、牛タンの高蛋白質の割に脂肪が少ないことがマスコミュニケーション等で紹介され、ヘルシー志向の人たちのみならず国民全体に牛タンが受け入れられ[要出典]ていった。このような流れに乗って仙台牛タン焼きも有名になっていった。
仙台牛タン焼きは、旅行の一般化によって観光客たちの食べるところ[要出典]となり、また、外食の一般化によって仙台市民も食べるところとなったが、最大の転機は、1991年に始まった牛肉輸入自由化である。以前は老舗業者くらいしか無かったが、牛肉輸入自由化に伴い安価に材料が入手できるようになり、ここ10数年の間に新規参入した業者が増えた。
ところで、誕生の経緯からも、庶民の味として安価に供するためにも、仙台牛タン焼きは、脂肪の付き具合いが良い米国産でなくてはならないという考え方がある[要出典]。実際、材料の牛タンは、その殆どが輸入品である。しかし、農畜産物・水産物の地元での生産と消費(地産地消)を目指している宮城県で、輸入物の牛タンを名物と称するには疑問の声もある。そういう指摘もあってか、地元の高級和牛牛肉である仙台牛を使った牛タン焼きの店も出てきた。一方、頑なに伝統を守ってアメリカ産牛肉を使っている店の中には、「仙台名物」 という代わりに、料理法および食べ方が仙台での発祥なのだとして「仙台発祥」と表現している店もある。
しかし、牛タンの原料供給の9割を米国からの輸入に頼っていたため、2004年、大手牛丼チェーンと同様、牛海綿状脳症(BSE)発生によるアメリカ産牛肉輸入停止の影響を大いに受けてしまった。アメリカ産に替えてオーストラリア産牛肉にシフトする店もあるが、頑なにアメリカ産に拘った店は、在庫不足に陥って、牛タン料理の提供を取り止めている店舗が生じている。中には支店を撤退させたり、廃業した業者もある。
焼肉 牛タン
牛タン専門店では、牛タン焼きに麦飯やテールスープをつけた牛タン定食が供される。白菜漬けと「南蛮」という赤唐辛子(正調では山形産唐辛子を用いる)の味噌漬けがつく場合が多いが、各店により差異がある。
仙台の牛タン焼き自体の特徴としては、店により薄切りから厚切りまで様々とはいえ、焼肉屋の牛タンと比べると総じて厚切りで、厚さにかかわらず、柔らかく焼いてある。また、牛の舌の付け根付近は、生育法によっては霜降り状になるので、その部分を「芯タン」・「トロタン」などと呼び、一般の牛タンとは別メニューで供する店もある。また、味付けは「タン塩」のほか、「味噌」「からし味噌」といったタン肉自体の味噌漬けの焼肉も定番である。
牛タン焼き以外のメニューとして、タンシチューや牛タンしゃぶしゃぶ(冬季限定)、または、生のままのタン刺しや牛タン寿司などを取り揃える店もある(しゃぶしゃぶや生食メニューなどでは、仙台牛や仙台黒毛和牛を用いる例が見られる)。お土産物用として、燻製や佃煮などもある。
焼肉